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震災から10年。あの日を振り返る

今日で東日本大震災から10年。

「もう10年なのか」

と、月日が短く感じます。ですが、今私の目の前にいる生徒さんの顔ぶれを見ると、震災を経験していない子たちがとても多くなっていることに気づき、そのことに驚きます。

テレビの震災特集で、当時小学生だった子が、語り部活動をしていたり、医療従事者をめざしたり、消防士になったりと、被災者の心に寄り添った道を選ぶ人も多く、それを見るとやはり10年の月日の重みを感じます。

最近、YouTubeを開くと、当時の沿岸部の様子を撮影した動画がたくさん上がっていて、見ていると今も涙が出てきます。

先日、宮城県で10年越しにお母さんが見つかって息子さんの元に帰れたニュースがありましたね。1000人以上の行方不明の方がまだいらっしゃって、地道に捜索も続けられていますが、1人でも多くご自宅に帰れるように祈りたいです。

私のピアノ教室では10年前、震災のあとレッスンが再開した時に、生徒さんと「もし大地震が来たらどう避難するか」をお話しして、避難のシミュレーションをしました。

ピアノから離れて、タオルで頭をカバーして身を守る。そして揺れが落ち着いたら庭の真ん中に逃げる。

という避難訓練を当時やりました。

思えばその避難訓練をした生徒さんは今や高校生になっています。これは、震災の日をきっかけにまた改めて避難訓練をしなければと考えています。

10年前の3月11日は金曜日でした。私はレッスン前にサンリツで楽譜を買うために外出していて、店内で数冊の楽譜を手にしていたところであの地震に遭いました。

当時のピアノ教室のおたよりの文章を抜粋します。震災後しばらくレッスンができずに、ようやく再開した時のおたよりです。まだ心が落ち着かない気持ちで書いたのを覚えています。

3月11日(金)午後2時46分、戦後最悪の被害となった震災が起こりました。
みなさん、ご無事でしたでしょうか?ご親戚、ご友人などもご無事だったでしょうか。 

私は泉中央のサンリツで楽譜を買っている最中に、震災に遭いました。

音楽教室から出てきた先生達や他のお客さん達と外に逃げ、全然知らない人たちと腕をつかみあって耐えていました。
途中で店内の電気が消え、お店の中はガラスが割れたりピアノが移動したり中に入れる状態ではありません。

その後、急いで車に乗り、信号は止まっているので大渋滞。途中で大きな余震が起きては体を緊張させ、ラジオからは10メートルの大津波警報発令という聞いたことがない発表が流れ、うちに帰るまで一時間以上かかりました。

  rubato 2011.3.号より

揺れがやっとおさまり、まず生徒さんに電話。直後はまだ通話ができて、手短に当日のレッスンの生徒さんから、週明けのすぐの生徒さんくらいまで連絡がつく人には話せました。

メールで連絡がついた子は「大丈夫だった?ものすごかったね」なんて、この時はこと重大さにまだ気づいていませんでした。

その後の帰路、泉中央の三立から実家の根白石までほんとうに遠かったです。

信号が止まった松田病院の交差点では、いつになったら通過できるんだというくらいの交通量と車のスピードに怯え、橋桁は揺れで大きな段差ができていて、帰宅途中に給油しようと寄る予定だったガソリンスタンドは損壊していて…。

通り過ぎる店舗という店舗はまだ4時前だというのに人の気配もなく、途中で雪が降ってきて大きな余震に不安が募る1時間でした。

実家に戻り、ほっとした表情の家族、その後、兄も帰ってきて家族全員無事に会えて心底ほっとしました。

レッスン室は、壁のクロスが破れ、本棚の大量の楽譜がだだーっと崩れ落ちていて、ピアノも少し移動したようでした。グランドピアノは倒れることはないですが、足の部分がすすすーっと走ってしまいます。

あまりの出来事にこの日は、楽譜を直そうというところまで気持ちが回らず、自分の部屋も見る気も起こらず(汗)、電池類、懐中電灯、ラジオなど集めたり、水や暖をどうとるかなどライフラインがなくなった生活のための準備に奔走しました。もう電話もまったくつながりません。

もうテレビも映りませんし、ネットもダメ。ラジオからの情報のみが頼りで、10メートルの巨大津波が沿岸部を襲い、家々が流されたというニュースが現実とは思えず、想像できませんでした。

大変なことが起こってしまった。これからどうしよう。

このことばかりが頭をぐるぐるしていました。

実は、震災の1ヶ月前に父親を亡くしたばかりで、2月は半月ほどのレッスンをお休みいただいていました。気持ちの整理し、ようやくレッスン再開して一週間たったところでのあの震災でしたので、本当に心が折れました。

津波、原発。4日ぶりのテレビ映像にショックを受けた方も多いと思います。

あの頃、

「こんな世の中になってこれから音楽を楽しもうなんて思う人がいるだろうか」

「音楽を楽しみたいという文化は、復興が進まないと生まれないんじゃないか」

とかなり後ろ向きな気持ちになっていました。父を亡くした気持ちも手伝って私自身がそう思っていたのかもしれません。

それでも、電話がつながらない生徒さんたちに毎日電話をかけ続けて、ようやく連絡がついてレッスンの再開の時期のついてのお話ができたのが二週間くらいたったころでした。そのとき、生徒さんの様子も伺うことができました。

地震でショックを受けている子、給水に並んで一生懸命おうちのお手伝いしている子、買い出しのお手伝いをしている子、そしてレッスン再開に向けて練習を頑張っている子もたくさんいて、今はそれぞれのおうちで復興を待ちながら、レッスンの再開も待っている気持ちを知り、私も前を向かなければと背中を押された気持ちになりました。

「先生、無理しないでね。来れるようになったら来てね。それまで毎日練習がんばってるからね。絶対待ってるからね!」

と生徒さんのお母さんの言葉が本当に染みました。

子供たちはふだんと変わらない日常を送っていて、ピアノもその日常にあるんだなぁと、弾いている姿を思い浮かべたとき、子供ってすごいんだな、たくましいんだな、とあの震災で心から思いました。

ライフラインの復旧とともに3月末に自宅のレッスンを再開し、ガソリンが並ばなくても給油できるようになってから出張レッスンも再開できたのは4月でした。

音楽がつないでくれた生徒さんとの出会いというものを再会できたときに強く感じました。

その後、「こういう時だからこそ、ピアノを弾いて心の平穏を持ちたい」とピアノを習われた方もいらっしゃって、

私は考えがまだまだ浅かったと、音楽が人の心を癒す力の大きさを知りました。

この時の経験から、私の教室では、生徒さんに向けて災害時のレッスンのガイドラインを作りました。2011年以降入会してくださる方には、そのガイドラインをお渡ししています。

どんなことがあっても、音楽は人の心から消えることはない。

そう思って、昨年のコロナの時も(だいぶ打撃は受けましたが(汗))、やはりいつもどおりに練習を頑張る生徒さんの姿を動画越しに見て、急ピッチでオンラインレッスンの方法を模索、構築する原動力になりました。

ピアノを弾きたい生徒さんのためにできることは全部したい、そいういう気持ちでレッスンをしています。

私はつくづく、生徒さんのおかげで力をもらっている、と歳を重ねるごとに思います。そして人生も教わっている気持ちになります。

震災以来、大きな災害、感染症など未曾有のことばかりが起こる激動の時代にいるような気持ちになっています。
心がしぼんでしまいそうになることもありますが、生かされているからからこその試練なんだろうなぁと感じます。

その中で、どんなふうに自分らしく生きるか、何をするべきか、1日1日を大切に生きなければならないなと震災を振り返って思いました。

 

先日、震度5弱の大きな余震がきました。激しい揺れに311を思い出した方も多いと思います。

大きい余震がまた起こるかもしれません。

これを機に防災グッズの確認や、足りないものなど再チェックしましょう。
水、懐中電灯、ラジオ、乾電池、モバイルバッテリーなどなど…。